「スポーツで『山形モデル』をつくり山形を盛りあげたい」――Uターン新卒で地銀を経てフリーで活躍する男が想う山形の未来とは?


              「スポーツで『山形モデル』をつくり山形を盛りあげたい」――Uターン新卒で地銀を経てフリーで活躍する男が想う山形の未来とは?

天童市にある山形県総合運動公園、ここでは毎年3月から11月にかけ、約2週間に一度、1万人規模のイベントが開催されます。今回インタビューする方は、そんなイベントを盛りあげようと活躍する山形市在住の大場脩(おおば しゅう)さん。大学進学と同時に上京し、新卒で銀行員として山形へ帰ってきましたが、約3年の後に独立し、現在はファイナンシャルプランナーとして活動しています。「スポーツで『山形モデル』をつくり山形を盛りあげたい」と言う大場さん。その「山形モデル」とは一体どういうものなのか?そもそもなぜ新卒でUターンを選択したのか?そしてなぜ新卒で入行した地銀を3年で辞めてしまったのか?今回はそんな大場さんに「山形への想い」をインタビューをしてきました。 はい!よろしくお願いします!高校生のときは漠然と都会に対する憧れというか、都会の生活を体験してみたいという想いがあったからですかね。東京には地方からいろいろな人が集まりますし、その中で交友関係や見識を広めることができる。今でも関係が続いている人が全国、世界にまで広がっているというのは東京という山形よりもはるかに広いフィールドに出たからだと思います。中学生とか、高校生に会うと