江戸時代に岩出山伊達家二代 宗敏の隠居所として延宝5年(1677)頃に建てられた建物。その後,下屋敷・隠居所と使用された後,家臣の子弟を教育するための学問所として使用されました。当時は,射場・馬場などもあり,文武の知識と技を磨いたと伝わっています。また,四代 村泰は,文武に秀で仙台藩の学者佐久間洞巌を招き,論語や孟子の講義を開講しました。床の間に掲げられている扁額「対影楼」は,洞巌が訪れた下屋敷に名付け贈ったと伝わっている扁額です。庭園は,仙台の茶人石州流三代 清水道竿の作庭で,岩出山城本丸の断崖を借景と