首なし地蔵

首なし地蔵

最上義光の子義康が山形から六十里街道を通り、一里塚にさしかかった折、父の命による追手に殺された地。首を落とされた義康を供養するため地蔵を建立したが、首が落ちてしまい、幾度直しても首が落ちたといわれている。