平城跡

平城跡

慶長7年(1602)に磐城大館城(いわき市好間)十万石の領主となった鳥居忠政は、物見ケ岡に新城を築いた。別名を龍城ともいう。以後、城主は内藤、井上氏と代わって延享4年(1747)に安藤信成が入って、子孫が明治維新を迎える。五代信正は、坂下門外の変の被害者となった。城跡には、物見ケ岡稲荷神社の小祠がたたずんでいる。