国見山

国見山

衣川第二の高峰、北側に延暦の古道が通っており、紀古佐美軍(きのこさみぐん)もこの地点から胆沢全域のみならず、北上川以東の閉伊一帯、岩手山以北の仁佐体(にさたい)方面を眺望して作戦を練り、北股川の支流沿いに北上してから胆沢川扇状地との境の稜線の南側に営(たむろ)を設けることにしたと伝えられる。