金沢柵跡

金沢柵跡

出羽の俘囚(在地の豪族)の長,清原氏が本拠としたが,前九年の役の功により清原武則は鎮守府将軍に任じられ,陸奥国に移って奥羽全域を支配した。現在,金沢柵は八幡山が柵址とされ,史跡公園になっているが,正確な所在地かどうか疑問の余地もありそうだ。いま本丸とか二の丸,北の丸といった名称があるのも柵址としては不自然で,これは戦国以降のものであろうという。事実,戦国時代にここに山城が築かれ,金沢氏が存城した。現在はわずかに本丸・二の丸跡に陣営の掘っ立ての柱穴跡が残っている。◎清原武則(生没年不詳)仙北生れ。俘囚主光頼