寛文13年(1673)の創建。明治17年の大火で焼失してしまいますが、平民宰相・原敬の寄進建立で現在に至ります。 大慈寺の境内には、大正11年東京駅で一青年の凶刃に倒れた原敬が、その遺言により眠っています。原敬(はらたかし 通称はらけい)は、1856(安政3)年に盛岡市本宮の南部藩士族の家に次男として生まれ、幼名を健二郎といいました。原の出は士族ですが、次男ということもあって平民となっていました。藩校作人館(仁王小学校の前身)で学び上京、新聞記者などを経て1918(大正7)年に首相となり、歴代の士族出身の