聖塚(河野通信墳墓)

聖塚(河野通信墳墓)

時宗の開祖である一遍(1239~1289年)の祖父、河野通信【こうのみちのぶ】(1156~1223年)の墓といわれています。通信は源頼朝に使えた武将でしたが、承久の乱(1221年)に敗れて平泉に流されました。聖塚周辺の風景は、『一遍上人絵伝』に描かれた一遍が通信の墓参りをする場面に、とてもよく似ています。