奥州藤原氏時代には城が置かれたというが不詳。三戸城(青森県三戸郡三戸町)を本拠とする南部氏の一族に九戸氏があり、永禄12年(1569)政実のとき、鹿角地方奪還の戦功によって二戸郡を領し、九戸村伊保内から移って入城したとされる。天正19年(1591)政実は南部氏に背いて挙兵、豊臣秀吉の発した大軍に攻められて滅びる。九戸城はその後,南部信直が福岡城と改称して三戸城から移る。信直没後、嫡男利直が入城するが,盛岡城が完成して利直が移ったため,廃城となった。現在は三方を深い谷に面した地形に面影をとどめているのみであ