前九年の役の後,陸奥・出羽の王者となった清原一族が,清衡・家衡の二派に別れて争った「後三年の役」に際し,源義家は清原清衡に味方し,応徳3年(1086)家衡の拠る沼の柵を攻めた。この柵は作ノ瀬川,石持川,黒石沼,雄物川などに囲まれた水城ともいうべき天然の要害だった。攻防数カ月,冬の訪れとともに義家の軍は雪に補給路を断たれ,一敗地にまみれた。この「沼の柵」の本城跡が現在の「蔵光院」周辺である。
指定なし
東北物語