最北の古代城柵「秋田城」〜奈良・平安時代のオマジナイもここに!

最北の古代城柵「秋田城」〜奈良・平安時代のオマジナイもここに!

古代、最北の城柵が秋田県の「秋田城」です。多数の兵士や役人が常駐し、蝦夷や渤海との交易窓口でした。城跡からはこのような役目を窺わせる施設(水洗トイレ)や貴重な甲(よろい)などが出土しています。また当時の人々のオマジナイなどを知る事ができ、奈良・平安時代の生活の様子が生き生きと伝わってきます。古代歴史とともに人々の生活を体感してください。秋田城(出羽柵)は奈良時代から平安時代、東北支配の重要拠点として宮城県の多賀城(MEMO欄の記事参照)とともに朝廷支配の象徴でした。ここに(出羽国)国府がおかれ、行政機能として税の徴収や戸籍作製などが行なわれ、また軍事機能として治安維持や有事の時のために軍隊が常駐し、武具も多数保管されていました。さらに大陸にあった“渤海国”との交流がこの城を窓口に行なわれました。使節をもてなす客館を建て(外郭の外側に設けられています)、そこに“水洗トイレ”も作られました(MEMO欄のマップ参照)。奈良時代に水洗トイレを、しかも最北の城柵に作ったとは、特別待遇をしていた事になりますが、これは白村江の戦いの敵、「新羅」に対抗する意味があったと思われます。最北の城柵も国際政治と連動して活動していたの