宮城県「多賀城」鬼門のパワースポットに隠された意味とは?

宮城県「多賀城」鬼門のパワースポットに隠された意味とは?

古代、東北支配の拠点であった宮城県「多賀城」。ここは律令国家と蝦夷のパワーが衝突した場所。城の鬼門には双方を代表するパワースポットがあります。しかし、表向きのご利益の他に、これらの場所には人々のある思いが隠されています。鍵はやはり”鬼門”。隠された意味を解読し、多賀城そのもの、神社、大地から古代の人々のエネルギーを受け取って下さい。多賀城といえば古代、東北支配の一大拠点でした。多賀城周辺には多数のパワースポットが存在していますが、そのメインはやはり鬼門の方向にあります。実は、多賀城の鬼門には塩釜に通じる道があり、この道から蝦夷が攻撃をかけ、城が焼けた事もあったのです。この鬼門を守っているのは、写真の陸奥総社宮です(メモ欄、散策マップ参照)。まずここに行きましょう。「延喜式」(927年)によれば、当時、全国に多数(3,000社以上)の神社がありました。しかし全ての神社を参拝するのは大変なため、各国府毎に、多くの祭神を一ヶ所に合祀勧請する事となり、総社宮が設けられました。多賀城国府に設けられたのがここ陸奥総社宮で、陸奥国31郡・100社の祭神が合祀勧請されました。従って、100社ものご祭神の総合力で城の鬼門を守っ