酒田「相馬樓」で艶やかな「酒田舞娘」さんに心奪われて!

酒田「相馬樓」で艶やかな「酒田舞娘」さんに心奪われて!

江戸時代、河村瑞賢によって北前航路が整備されると、山形県酒田は物流の重要な拠点となり、「西の堺、東の酒田」と言われるまでに繁栄しました。ものの動きは同時に文化、芸術を伝播し、にぎわいを生み、京文化の影響を受けた茶屋文化、料亭文化として酒田の地に実を結びました。今回、当時の雅びが舞娘さんたちの踊りとともに鮮やかに甦った「相馬樓」をご紹介します。山形県、日本海を望む港町、酒田。江戸時代に興隆を極めた北前船は、京の文化をこの地でも開花させました。時は流れ、かつては全国に名を馳せた酒田花柳界も、一旦は時代の流れとともに衰退をたどりましたが、江戸時代から酒田を代表する料亭「相馬屋」が、平成12年に「舞娘茶屋 雛蔵畫廊 相馬樓」(まいこちゃや ひなぐらがろう そうまろう)として開楼しました。写真が、「舞娘茶屋 雛蔵畫廊 相馬樓」の外観です。茅葺の屋根と朱色の塀が印象的です。この建物、実は、明治27年の庄内大震災の大火で焼失してしまいましたが、その直後に、残った土蔵を取り囲んで、新たに建てられたものです。料亭としては時代の流れに抗しきれずに幕を下ろしましたが、その後、新たな息吹を加えられて、観光施設として今日の美しい佇まい