陸奥国の国府・宮城県「多賀城」ここは古代、東北支配の一大拠点だった!

陸奥国の国府・宮城県「多賀城」ここは古代、東北支配の一大拠点だった!

古代東北というとアテルイに代表される蝦夷が思い出されますが、東北は律令国家の支配が及ばない地でした。8世紀に入り、勢力拡大の拠点として置かれたのが陸奥国の“多賀城”。宮城県多賀城市にその城跡があります。九州の拠点・大宰府と並び、東北支配の重要拠点であったこの城を知る事で、古代東北の歴史、また律令国家が辿って来た実態を知る事ができます。東北は縄文文化が花咲いた地域として有名です。有名な“遮光土器”、また漆が塗られた各種道具類などが多数出土しています。また紀元前3世紀には既に東北地方で稲作が普及し、古墳時代には北部にこそ前方後円墳はみられませんが、豪族の墓も多数見つかっています。そして7世紀になって、西の律令国家が支配の手を東北にまで伸ばし、支配に従わない人々を“蝦夷(エミシ)”と呼び、未開野蛮な民族とし名付けました。この辺りから今回の旅が始まるのですが、まずこのような東北の歴史を「東北歴史博物館」(写真)で知りましょう。博物館は国府多賀城駅の南口すぐにあります。東北支配を強化したきっかけは、朝鮮半島で“白村江の戦い”に敗れた事でした。敗戦を受け、律令体制を急速に整備しはじめるとともに、都を中心とした小中華思想で