宮城県
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数多くの戦国武将の中でも人気が高い「真田幸村(信繁)」。NHK大河ドラマ『真田丸』で更に話題になりました。幸村は、大坂夏の陣で敵本陣まで突撃し敵総大将徳川家康を追い詰めますが、あと一歩及ばず討死にし、幸村の一族も滅亡したと思われていました。ところが、子供達は密かに伊達軍に匿われて遠く仙台藩へ逃れ「仙台真田家」として存続したのです。今でも宮城県に残る、幸村の子孫ゆかりのスポットをご紹介します。徳川方と豊臣方の最終決戦となった大坂夏の陣。豊臣方として参戦した真田幸村は、討死する前日に、徳川方伊達政宗が率いる軍勢の先鋒である片倉小十郎重綱(後に重長へ改名)の部隊と交戦します(道明寺の戦い)。豊臣方で豪将と名高かった後藤又兵衛や薄田隼人兼相などを討ち取った重綱は、家康から武勇を称えられ「鬼小十郎」の異名を頂くほど勇猛に戦いながら、真田軍が撤退する際には追撃を控えました。敵将ながら重綱に知勇兼備を見込んだ幸村は、すでに討死の覚悟をしていた事もあり、その日の夜に娘の阿梅(おうめ)を密かに重綱の元へ送り届けさせて、後事を託しました。大坂城陥落後、伊達軍が京都に駐屯している間に、さらに次男の大八(だいはち)と3人の娘が送り届