西洋建築だけじゃない、みやぎの明治村〜登米市登米町〜

西洋建築だけじゃない、みやぎの明治村〜登米市登米町〜

宮城県登米(とめ)市登米(とよま)町は、かつて伊達家仙台藩領内にある城下町の一つでした。舟運で栄え、外国の文化が流入すると擬洋風建築が町内に建てられるようになりました。これが現在も残って、登米は“みやぎの明治村”という名で知られるようになって現在に至っています。今回は、そんな城下町の面影と西洋建築の交わる町、登米(とよま)をご紹介します。“みやぎの明治村”のゆえんを知る前にまずは登米の城下町時代を偲ぶことにしましょう。それにふさわしいのが登米懐古館です。登米城下町のルーツに当たる寺池館跡に立ち(写真)、立地的にもネーミング的にもおあつらえ向き。展示室に入ると、眼前に製作当初の状態をほぼ残した登米伊達家初代・伊達宗直所用である「鉄黒漆塗五枚胴具足」などの具足があり、その右の壁に寺池館の縄張図が貼られています。図によると、複数の曲輪に水堀なども擁したなかなか立派な城だったことが窺えます。宗直はもともと水沢の領主でした。領地替えがあり、新天地・登米で与えられた任は北上川の改修などの荒れ地開発でした。登米地方はそれまで北上川の氾濫頻発地帯であり、宗直は信玄堤の工法で治水を成功させました。懐古館そのものは小さいにもかか