創築年代は不明だが、江合川左岸の低丘陵に築かれ、室町・戦国期には、大崎氏の支流涌谷氏が拠った。天正18年(1590)、大崎氏の除封に伴って涌谷氏も没落し、翌年、伊達政宗領となった。江戸時代に入り、元和の一国一城令後、涌谷城は「要害」の一つになり、涌谷伊達氏が居所とした。◎伊達安芸(1597-1671)名を宗重。仙台藩一門で涌谷二万三千石を領す。伊達式部との境界争いなどがもとで伊達兵部と対立、幕府に藩の悪政を訴えるが、寛文11年、江戸の大老酒井忠清邸で原田甲斐に斬殺された。
宮城県
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