熊野神社

熊野神社

源頼朝奥州平定後、東北の地(蝦夷地)に近畿・中国の農民を住民とし、開拓させたので、宮崎や鳴瀬川流域は、紀州からの移民が多かった。開拓農民が故郷の氏神を祀るため、紀州の本社から御分霊を受け、元応2年社司藤原重密が、熊野神社として麓に祀ったと言われている。