栗原八ッ鹿踊り

栗原八ッ鹿踊り

明徳4年(1395)紀伊守円清が栗原村を開院し、白馬山栗原寺の馬頭観音堂の別当となった。祭典には田楽舞児の舞等を奉納した時、雌鹿・牡鹿の群れが遊び戯れているのを見て興を持ち、振りつけて鹿獅子と名付け、社前に奉納されるようになった。