真田幸村の墓

真田幸村の墓

大館市の一心院という寺に残る。 一般には大坂の陣で討ち死にしたと伝えられるが、一説によると大坂の陣では死なずに、島津氏を頼って鹿児島に落ち延びたとも伝えられる。島津家が徳川に恭順したため、その後は各地を巡礼しながら放浪。寛永2年(1625年)から四女御田姫の嫁ぎ先の実家佐竹家に庇護され大館に住み、寛永18年(1641年)に75歳で没したと伝えられる(嫡男大助の墓もある)。 左の墓が、古くから伝えられる墓であり、右はその子孫たちによって建てられた墓である。 また、一心院内には、幸村が全国を巡礼していた際に