正式には向達子番才楽ともいいますが、この番楽の起源については、甚だあいまいな伝承しか残っていません。安政元年(1854年)に阿仁根子番楽の流れを組む二ツ井町仁鮒(旧轟村)の神官を招き、集落の若者一同がその教えを受けました。また、一部は明治の中頃、当集落の北林東吉という者が五城目の馬場目へ出稼ぎ中、その地で舞われていたものを習って帰り、それまでのものと合わせて今のような形に整えたとされています。太平洋戦争までは若勢組が継承してきましたが、終戦後は向達子番楽保存会を組織し、後継者育成に努め現在に至っています。