天正年代(1573年~1592年)、能代市母体の神官、安部降順氏(25代目当主)の祖で、修験者安部家3代目大鏡院昭山師が修練のため上方にのぼり、田楽の一種山伏神楽を習得して帰り、桧山舞い(母体番楽)を始めたと記録にあり、その系統に属するとされています。当時の人々にとって、農林業は言うに及ばず、日々の生活はすべてこれ神のお恵みによるものと信じられており、その神へのなかだちが修練者であったことから、この番楽も神への信仰行事として急速に近隣へ伝達されました。志戸橋は古い集落であった上、古来桧山とは深いつながりが