小田野直武碑

小田野直武碑

松庵寺境内 秋田藩士。7~8才ごろから仏画の模写などで画才を示す。1773年(安永2)阿仁銅山の検分に招かれた平賀源内が,直武の非凡な画才に注目し,西洋の写実画法を教えたとされている。源内のすすめで江戸へ上り,1774年(安永3)杉田玄白訳「解体新書」の木版附図の下絵を描く。藩主佐竹義敦の蘭画に関する指導的役割も果たした。1779年(安永8)冬,突然謹慎を命じられて角館へ帰り,翌年急死。平賀源内の入牢,獄死との関連が推測されている。県立博物館で公開の「不忍池図」は国重文指定。