昭和初期まで豊かな清水が湧き出ており、芭蕉もこの清水を飲みのどを潤したのではないかといわれている。そばには芭蕉の詠んだ句である「水の奥 氷室尋る 柳哉」が句碑に刻まれている。この句碑は後世、芭蕉の足跡を慕ってこの地にやって来た俳人大島蓼太(りょうた)が土地の俳人交流を深めたことを記念して、江戸の宇平なる人が、天明元年(1781年)に建てたものである。
山形県
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