東陽寺

東陽寺

鎌倉時代中期の文応元年(1260年)3月1日、天台円宗三部都法印亀明律師が当山奥に入定したことに始まる。それから約200年を経て伊達氏宿老家の原田氏が応仁2年(1468年)白鷹町の曹洞宗瑞龍院二世実庵祥参大和尚の高弟、九皐宥鶴和尚を招いて再興をはかり、山号を亀松山と名づけ菩提寺とした。 原田氏十七代左馬介宗時の時代、天正19年(1591年)伊達氏の岩出山移封に従って当地を離れるが、今も原田氏の守り本尊釈迦如来胎内仏が伝わり、代々の墓(石造九重層塔一対)も当寺に残っている。