高畑城跡

高畑城跡

承安年間(1171~1174)に奥州平泉藤原秀衡のいとこ、樋爪五郎季衡が築城したと伝えられています。以後、伊達氏置賜支配の居城、上杉領及び預所、幕府直轄領、高畑織田氏の陣屋代官所となりました。高畑城は、形が釣鐘に似ていることから「鐘ヶ城」とも呼ばれていました。現在は大手門内堀跡とみられる位置に水を湛えた城跡だけが残っています。