寒河江城址

寒河江城址

鎌倉幕府草創期の実力者大江広元の長男親広以来、十八代、360年間にわたってこの地方を治めた大江氏の城。天正12年(1584)、最上義光は大軍をもって寒河江の防衛線である最上川を押し渡り、城を囲んだ。城主大江高基は御楯山に退き、そこで自刃した。現在、城址は寒河江小学校の敷地になっていて、「寒河江城址」の碑が建つばかりである。