今から約180年前の天保3(1832)年、村が競作で飢饉に見舞われた際、その苦しみをやわらげ、豊作を祈願するために現在の總宮神社に奉納したのが始まりといわれている。この獅子踊は、五十川の獅子踊を習ったといわれ、前庭と後庭の2部構成からなる。一時途絶えたものの、昭和48年に復活し現在に至っている。勧進代地区長が保存会会長を務める。
山形県
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