山形の戦国史の登場する天童城(舞鶴城)は最上頼直が天授元年(1375)に築城。その子孫が天童氏を称して累代在城するが、天正5年(1577)頼久のとき宗家の山形城主最上義光に攻略され落城、廃城となった。天童藩の城は天保元年(1830)織田信実が高畠から移って舞鶴山麓の平地に築いたが、館形式のものだった。慶応4年(1868)閏4月4日、庄内藩軍の攻撃をうけて落城した。
山形県
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