粟野地蔵尊

粟野地蔵尊

「奥州伊達郡粟野地蔵尊略縁起」によると、この地の茶屋で茶を所望した弘法大師を娘が慕い、大師の飲み残した茶の泡を飲んで妊娠出産。子供が三歳になった折、再び訪れた大師は、その子を再び泡に戻し、娘の忘念だと悟らせた。この時大師は、子供の追福のため、四寸六分の地蔵を刻んだのが「泡の地蔵」で、後に「粟野地蔵」となった。 春の彼岸の中日が縁日で、12年に1回、丑年のご開帳には多くの参拝者で賑わう。