高村光太郎の妻 智恵子の故郷〜福島・二本松「智恵子の生家」

高村光太郎の妻 智恵子の故郷〜福島・二本松「智恵子の生家」

日本を代表する詩人・彫刻家である高村光太郎の妻 智恵子。洋画家、紙絵作家として有名ですが、生誕130年を迎え改めてその作品の素晴らしさが見直されています。その智恵子が生まれ17歳まで過ごした家が福島県二本松市にあり、紙絵などの作品が展示される智恵子記念館と共に公開されています。52歳の若さで亡くなるも紙絵という独自の世界を作り上げた智恵子が生まれ青春時代を過ごした「智恵子の生家」をご紹介します。JR二本松駅から車で約10分、智恵子が愛してやまなかったふるさと安達(あだち)の、緑の山々に囲まれた静かな住宅街に当時の姿のままたたずむ「智恵子の生家」。智恵子の旧姓は長沼。長沼家は造り酒屋として大成功し、広い間口に二階建ての母屋は建てられた明治初期の時代としては稀に見る大豪邸でした。屋号は米屋で酒の名前は花霞、造り酒屋らしく新酒の醸成を伝える杉玉が下げられています。明治19年に生まれた智恵子は17歳までの青春時代をこの家で過ごし、レコードを聴いたり二階の窓から緑豊かな景色や青い空を見て育ちます。光太郎の代表的詩集「智恵子抄」に収められた詩「あどけない話」の中に「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。