幻に終わった夢の跡、上杉氏の居城「神指(こうざし)城跡」会津若松市

幻に終わった夢の跡、上杉氏の居城「神指(こうざし)城跡」会津若松市

天下分け目の関ケ原の合戦の年に、会津の領主だった上杉景勝が、直江兼続に命じて築城しようとした広大な平城が神指城です。会津若松市の西側、阿賀川が流れるすぐ脇に水運も取り入れようと築かれていました。徳川家康の会津上杉征伐によって築城が中断し、日の目を見ることがありませんでしたが、現在でも、その遺構が残る貴重な文化財です。本丸跡地の内部は、私有地で立ち入り禁止ですが、周りの案内板を頼りに周遊できます。会津若松市でお城と言えば、鶴ヶ城ですが、関ヶ原の合戦の年、江戸時代が始まる直前に築かれようとし、未完成に終わったお城が、鶴ヶ城から北西約8キロメートルの「神指城」です。慶長3(1600)年3月に築城を開始したことで、謀反の疑いをかけられ、直江兼続が家康に対し挑発的な申し開きをした「直江状」へつながり、上杉征伐の口実を与えました。家康が上杉征伐に出陣したため、6月初めには本丸と二ノ丸の大半が完成間近であったが、築城を中止し、白河に砦などを築き合戦に備えました。城主の上杉景勝は、関ヶ原の合戦後、米沢に移封(国替え)となったため、入城することなく終わりました。徳川家康の上杉征伐が関ヶ原の合戦の引き金となったことを鑑みると、歴