白虎隊最期の地。福島県会津若松「飯盛山」に登る

白虎隊最期の地。福島県会津若松「飯盛山」に登る

福島県・会津若松駅から観光用の周遊バス「あかべぇ」で5分ほどのところに、飯盛山という山があります。盛られた飯のような形から名づけられた314メートルの小さな山で、幕末の戊辰戦争で会津藩(旧幕府軍)の元で活躍し、新政府軍と戦った白虎隊が自刃した場所として有名です。白虎隊最期の地である飯盛山に登り、彼らがどのような最期を遂げたのかにせまってみましょう。戊辰戦争(1868年〜1869年)の時、会津藩は鶴ヶ城(会津若松城)に籠城し新政府軍と戦いをくり広げていました。10代の男子で構成されていた白虎隊も、会津藩の苦戦にともない出陣を命じられますが、あえなく退却することとなり飯盛山に逃げのびます。飯盛山山頂へは、ほぼ直線の石段を登っていくことになります。全部で183段ありますが、距離はそこまでないため健脚な方なら10分もあれば山頂までたどり着けます。お年寄りや小さいお子さんを連れている方は、階段右側にあるスロープコンベアを利用すると歩かずに山頂まで行くことができます。飯盛山には戸ノ口堰洞穴という洞穴が開いており、ここも白虎隊ゆかりのスポットとして知られています。1623年、肝煎(江戸幕府の職制の1つ)だった八田内蔵之助と