今に残る武家町の風情、弘前市「仲町」を散策しよう

今に残る武家町の風情、弘前市「仲町」を散策しよう

江戸時代の初頭に弘前藩津軽氏の居城として築かれた弘前城。現在も城内には天守や櫓、門が残されており、また春には桜が咲き乱れる花見の名所としても知られています。その北の入口にあたる亀甲門に隣接する一帯は、城下町時代に武士たちが住居を構えていた武家町でした。そこには今もなお、路地に沿って生垣や板塀が連なり、立派な門を構えたお宅が並ぶなど、武家町の面影を残す街並み景観を目にすることができるのです。関ヶ原の戦いで東軍についた津軽為信(つがるためのぶ)は、徳川家康から加増を受けて弘前藩の初代藩主となりました。為信は慶長8年(1603年)に弘前城の築城を開始したものの、翌年に死去したことから工事は中断。その後、二代藩主の津軽信枚(つがるのぶひら)が慶長14年(1609年)に築城を再開し、弘前城は慶長16年(1611年)に完成しました。現在、城の正門にあたる大手門は城の南側に位置していますが、築城当初は北側の亀甲門(かめのこもん)が大手門でした。正面玄関に武士を集中して住まわせることで、城の守りを固めていたのです。この武家町はかつては仲町と呼ばれており、現在は当時の範囲の3分の2にあたる約10.6ヘクタールが重要伝統的建造物