「野辺地」という地名がはじめて文献に見えるのは、南北朝時代の建武2年(1335)ですが、町内には寺ノ沢遺跡(縄文前期)、槻ノ木遺跡(縄文中期)、枇杷野遺跡(縄文後期)、陣場川原遺跡(縄文後期)などの遺跡が分布しており、これらのことから、すでに先史時代から人々がこの地に住んでいたことが知られています。立地的に古くから交通の要衝として発展してきましたが、特に延宝年間(1673~1680)から明治の初年にかけて、豪商と呼ばれた地元の野村治三郎や野坂勘左衛門、さらには北陸の銭屋五兵衛などの千石船が往来し、日本海沿