この鳥居をぬけ杉林を通って行きます。案内板によれば:『大同2年(807年)坂上田村麻呂の創始と伝えられる。山伏修験道本山派五戸多門院の配下、上北郡横浜八幡別当大光院の霞に属したが一時花巻の神官稲田遠江の支配に属したこともあった。江戸時代には、幕府巡見使の参拝所であり、南部領では巡路第一の地であった。それ故に巡見使通行の節、見苦しきため、取り壊し仮社としていたが明治2年(1765年)再興した。古くから「日本中央」と刻んだ「つぼの石文」を建てたという伝説があり、これを訪ねた和歌や紀行文などが多いことで知られる