慶長16年(1611)の大地震によって越後街道の勝負沢峠が通行不能となり、新たに鐘撞堂峠を開削し、その新道に設けられた宿場。ここの宿は両側が山と崖なので地割は相当窮屈、裏の付属家も屋敷いっぱいに建てられている。明治初年頃には半切妻中2階が加わる。
福島県
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