弘智法印 宥貞は、1591年天正19年に出雲国、現在の島根県に生まれ、23歳で讃岐国、現在の香川県の松尾寺の住職宥昌和尚ものとで出家し、諸国行脚の末、高野山金剛三昧院にて真言密教を修学して小僧都となりました。最後の信仰の地となった浅川町で、小貫東永山観音寺の住職となり、村人のために加持祈祷を行う日々を過ごしますが、この時期、悪病が流行して多くの村人が苦しんでおりました。そこで、宥貞は、1683年天和3年12月8日、弟子の宥林に寺を継がせ、村人を集めて薬師如来十二大願の説法を行った後、自らを悟り入定。人々