龍興寺

龍興寺

前身は白河藩主本多忠義が明暦三年(1657)に建立した弁財天を安置する堂宇で、これを本多氏と関わりのあった黄檗宗の僧が管理したことで黄檗宗になったと伝えられます。その後の白河藩主松平大和守家(入封:1692~1742)の帰依も受け、松平定信の養祖父松平定賢(藩主在職:1742~1770)から「龍興寺」の寺号を与えられて現在に至っています。