平安時代、会津恵日寺の徳一大師による創建と伝えられる。元禄14年(1701)相馬中村藩5代藩主相馬昌胤(そうま まさたね)は37歳で家督を養子である叙胤(のぶたね)に譲り、現在の大聖寺の後方に当たる場所に享保13年(1728)に没するまで住みました。昌胤の住んだ館の正門の遺構は現在の大聖寺山門として残っており、その扉はかつての館の裏門で使われていたものです。なお、山門左手にある銅鐘(国指定重要美術工芸品)は宝永6年(1709)昌胤が奉献したものです。また、境内には江戸後期上層民家の造りを示す旧渡辺家住宅(