戊辰戦争時、長岡城落城後、長岡藩藩士山本帯刀を隊長とする一隊は八十里峠の難関を越えて会津に入り奮戦した。しかし早朝の濃霧の中飯寺河原で新政府軍に包囲され、隊長以下44名が戦死した。明治23年村民が供養の碑を建てて霊を弔ったが、その後昭和31年会津史談会が新たにこの殉節の碑を建てて供養した。
福島県
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