山鹿素行生誕の地

山鹿素行生誕の地

山鹿流兵学の祖、素行は江戸初期に蒲生忠郷の家老町野邸で生まれ、素行は武人として実践的な孔子の教え(聖学)の原点に帰ることを主張し、武士道を政治哲学まで高めた。時の会津藩主保科正之は、朱子学批判の罪で素行を赤穂浅野家に配流下した。素行の教えは武士社会に大きな影響をあたえ、忠臣蔵の大石内蔵助ら赤穂藩士、幕末の吉田松陰も山鹿流を学んだ。東郷平八郎元帥筆の碑が立つ。