岩手県
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「達谷窟毘沙門堂」は延暦20年(801年)、現在の岩手県西磐井郡平泉町に、征夷大将軍・坂上田村麿公によって創建された御堂です。京都の清水寺をまねた懸崖造りで、窟堂としては日本一の規模を誇ります。そんな「達谷窟毘沙門堂」でいただける護符「牛玉寳印」は“最強の御札”として名高く、貼れば「悪鬼を払い福を招く」と言われているのだとか。「達谷窟毘沙門堂」の見どころや、「牛玉寳印」についてご紹介します。「達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)」の建つ窟は、かつてこの地で乱暴なふるまいをくり返していた悪路王・赤頭・高丸などの蝦夷が砦を構えていた場所と言われています。延暦20年(801年)、桓武天皇の命を受けた坂上田村麿公は、征夷大将軍としてこの地に赴き、激戦の末に蝦夷を打ち破りました。坂上田村麿公は京都の清水寺を建立した人物。蝦夷討伐には「鞍馬寺の毘沙門天より剣を授かった」「諏訪大社で戦勝祈願をしたところ馳せ参じた武者が、窟での戦いで神がかり的な活躍をした」など、各地でさまざまな伝説が残されています。“戦勝は毘沙門天のおかげ”と感じた坂上田村麿公は、そのお礼にこの窟に清水の舞台を模した九間四面の精舎を建て、108