「下ノ畑ニ居リマス」花巻市で宮沢賢治の理想と挫折を追体験

「下ノ畑ニ居リマス」花巻市で宮沢賢治の理想と挫折を追体験

宮沢賢治といえば「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」などの童話や、「雨ニモマケズ」の詩で有名な岩手県花巻生まれの作家です。花巻市には「イギリス海岸」や、賢治の自宅兼私塾の「羅須地人協会」そして「下ノ畑ニ居リマス」で知られる「下ノ畑」など、賢治ゆかりの場所が数多くあります。そんな賢治ゆかりの地を訪ねつつ、彼の理想と挫折を追体験する旅へご案内します。宮沢賢治は裕福な質屋に生まれ、19歳で現在の岩手大学農学部に首席で入学する秀才でした。度重なる飢饉に苦しみ質入れする農民に、わずかなお金を渡し裕福な生活をする実家に反発し、賢治は童話作家を目指し家出同然で上京します。しかし妹の病気から帰郷、花巻農学校の教諭になりますが、自己矛盾に気付き退職。理想の世界を夢見て活動するも数々の挫折を味わい、最後は体を壊して亡くなります。享年37歳。早すぎる死でした。宮沢賢治の作品は生前ほとんど評価されず、死後に草野心平らにより作品が知られ、国民的な作家となりました。今も、賢治の作品は多くの人々に愛され、ゆかりの地・花巻市の「宮沢賢治詩碑」に向かう道には、写真のように作品のオブジェが路上に多く建てられています。(写真は「セロ弾きのゴーシュ