岩手・盛岡は「新渡戸稲造ゆかりの地」太平洋の架け橋となった男

岩手・盛岡は「新渡戸稲造ゆかりの地」太平洋の架け橋となった男

D号券・五千円札の肖像の人物、邦題『武士道』を著し世界に日本を発信した新渡戸稲造。世界の平和への貢献として、文化、教育、政治など多方面で、国際的に活躍した新渡戸稲造にゆかりのあるスポットが岩手県盛岡市には沢山あります。盛岡駅から岩手公園(盛岡城跡公園)周辺を中心に、新渡戸稲造像、生誕の地、記念碑など「新渡戸稲造ゆかりの地」を、台湾やカナダ・ビクトリア市との関係にも触れながら御紹介致します。盛岡駅前にある“滝と鮭の彫刻”と南口との間には、盛岡中学校(現在の盛岡第一高等学校)出身の新渡戸稲造(にとべ いなぞう、1862年〜1933年)の胸像が建立されています。こちらは新渡戸稲造生誕150年を記念して台湾の実業家・許文龍(シュー・ウェンロン、きょ ぶんりゅう、1928年〜 )さんから贈られたものです。ここで、新渡戸稲造と台湾の関係について少し触れてみましょう。1895年(明治28年)、下関条約により清国から割譲され台湾は日本が統治することになりました。新渡戸稲造は1901年(明治34年)に台湾総督府技師に就任、台湾の産業を発展させるため「糖業改良意見書」を提出します。この意見書により、台湾の砂糖産業は大きく飛躍して