新婚さん(でない方も)いらっしゃ〜い!盛岡「啄木新婚の家」

新婚さん(でない方も)いらっしゃ〜い!盛岡「啄木新婚の家」

“吾れはあく迄愛の永遠性なると云ふ事を信じ度候”と後に妻となる女性に言わせしめた男、望郷と漂泊の歌人・石川啄木。先述の言葉は1905年(明治38年)6月2日に書き記された妻・節子の言葉です。岩手県盛岡市にあり、盛岡駅からも歩いていける「啄木新婚の家」。啄木の両親と妹、そして新妻と一緒に結婚生活を始めた「啄木新婚の家」を歌人・石川啄木の結婚時のドタバタ劇を日付も追いながら御紹介致します。盛岡駅から徒歩で約10分の立地に、歌人・石川啄木(いしかわ たくぼく、1886年〜1912年)が妻・節子(せつこ、1886年〜1913年)と新婚生活を始めた武家屋敷「啄木新婚の家」があります。1905年(明治38年)6月4日から、妻・節子と啄木の両親、妹と共に暮らした家です。その後、わずか三週間、6月25日には、こちら盛岡市の中央通三丁目から同市内・中津川のほとり加賀野一丁目に転居します。さすが流転の生涯を送った歌人・石川啄木です。現在、盛岡市内の石川啄木の遺跡と呼べるものは、「啄木新婚の家」だけとなっています。入場無料で、近くには“啄木新婚の家口”のバス停もあり、アクセスしやすいのも嬉しいポイントです。※正確な表記は「石川啄木