山形鋳物の歴史
山形県の伝統工芸品である山形鋳物は、約1000年に及ぶ長い歴史を持っています。
11世紀半ば、前九年の役の際、源頼義に従軍した鋳物師が山形市内の馬見ヶ崎川の砂や周辺の土が鋳物に適していることを発見し、この地に留まり鋳物作りを始めました。その後、南北朝時代、鋳物師についての記録が残されていることから、当時も鋳物が生産されていたことが知られます。
江戸時代初期
江戸時代初期、山形藩主の最上氏は、城下町を造成する際、馬見ヶ崎川の北側に火を扱う鍛冶町と銅町を置き、人足役を免除する御免町として保護しました。当初は主に日用品、仏具や仏像などの小型の製品が生産されました。
その後出羽三山詣りが全国的に流行すると、参詣者のお土産品として人気を集め、全国に知られるようになりました。江戸中期には技術が磨かれ、品質が向上し、梵鐘や灯篭などの大型の製品が鋳造されるように。
明治時代
明治時代になると鉄瓶や茶釜などの美術工芸品にも分野が広がり、薄肉の製造技術と肌の美しさで「薄肉美麗」と称賛され、茶人や趣味人たちからも高い評価を受けました。
大正期には機械化が進み、従来の伝統的な手作りの工芸分野と機械鋳造とに二分化されました。
現在
昭和49年に制定された伝統的工芸品産業振興法により、
山形鋳物は第一次の指定を受けました。これは山形鋳物が伝統的な技術または技法を用いて製造され、生活に豊かさと潤いを与える
優れた製品であると認められたためです。
現在では工芸や美術品、建築部材、機械部品など多方面にわたる製品が生産されています。