日本の歩むべき道を示した偉人たちを知る〜奥州市水沢〜

日本の歩むべき道を示した偉人たちを知る〜奥州市水沢〜

岩手県南部、奥州市の中心市街にあたる水沢は、かつて城下町でした。ここまでがぎりぎり伊達家仙台藩領内で、水沢城は北辺警護の任を担っていた地です。現在、水沢領内を治めていた領主の居城・水沢城はほぼ残っておらず、町割と現存する一部の武家屋敷から往時を偲ぶのみです。小さな町ではありますが、ここから全国に知れ渡る3人の偉人が輩出されました。今回は武家屋敷を挟みながら、この「水沢の三偉人」を紹介します。後藤新平は関東大震災からの復興で知られる当時の東京市長です。死者・行方不明者約10万5000人に及び、都心部を焦土と化した関東大震災。後藤は「過去の生活はすべて滅び去った。一身上の問題を考えている場合ではない。身命を賭して立ち上がるのは今しかない。」と言い、国費による8億円の帝都復興事業を計画しました。昭和通り、靖国通り、蔵前通り、三ツ目通りなどの街路を新設するなど大規模なインフラ整備を行い、コンクリート造の小学校の新設など都市の不燃化計画も行いました。東京の都市計画をした後藤の事績に感嘆するとともに、復興の在り方についても考えさせられます。かつての水沢城の南側を東西に走る吉小路の道に沿って、2軒の武家屋敷が城下町だった往