南部氏の居城盛岡と佐竹氏の居城久保田(秋田)を結ぶ最短の道である秋田街道は、江戸時代においては雫石までは「雫石街道」と呼ばれ、雫石では「秋田往来」と呼んでいた。雫石へ通じる道は、以前は篠木坂峠や大沢坂峠、鬼古里坂峠などいずれも七ツ森の北側を通るものであったが、江戸時代になって大釜を経由して七ツ森の南を通る街道が整備された。 雫石街道は盛岡城下から夕顔瀬橋(明治2年、1765年までは舟渡し)を渡り、新田町の升形で盛岡から出るが、現国道46号線と異なるのは前潟から土淵を通って北方を迂回し大釜の竹鼻で現国道に国