徳丹城跡

徳丹城跡

律令国家の東北経営の前進拠点となっていた志波城がたびたび水害にあったため,征夷将軍文室綿麻呂が弘仁3年(812)ごろ築いた,辺境防備と開発の城柵,官衙である。廃城年代は、発掘調査成果から、9世紀中頃とみられる。発掘された遺物は,史跡西側の歴史民俗資料館に展示されている。